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コンゴ盆地の最奥部、
密林の類人猿ボノボ
(ピグミーチンパンジー)を守る


テケの人たちががんばる、
絶滅危惧種保護への国際協力



21世紀初頭、まさかの野生個体群再発見

2013年6月、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo;DRC)首都のキンシャサ。ここに、プロジェクトの舞台であるバンドゥンドゥ州バリ(Mbali)地区で、テケの人々が1997年に立ち上げた環境保全NPO、Mbou Mon Tour(ボゥ・モン・トゥール;MMT)の事務所があります。そこで代表のボキカ(BOKIKA)氏から聞いたプロジェクトの歴史。

「2005年にキンシャサで開かれた、欧米の自然保護団体のシンポジウムに参加して、村のコミュニティ・フォレストに棲んでいるチンパンジーの写真を見せて回ったんだ。『これは、うちの裏の畑に出てきた“Mokonbusu(モコンブス)”だけど、みんなが話しているボノボっていう仲間じゃないか?』ってね。最初は誰も信じなかったけど、よく見ると確かにボノボらしいというので、WWF(世界自然保護基金)が調査することになった」

そして翌2006年に、バリ地区から北に広がるトゥンバ湖ランドスケープで、WWF DRCが広域調査を行うと、推定で5000~7500頭にのぼるとみられる、ボノボの西個体群の存在が確認されたのです。これは、稀少種ボノボの、DRC国内の全個体数の1/4から1/3に当たると見られます。長年、ボノボに関わってきた研究者たちにとっては、首都の目と鼻の先に、まとまった数のボノボが残っていたこと自体、驚きでした。けれども、先祖代々、ひっそりとボノボと共存してきたテケの人々にとっては、待ちに待ったうれしい報せとなりました。



20世紀になってから発見された、最後の類人猿ボノボ


ボノボは、DRCにしかいない固有の類人猿です。チンパンジーとよく似た風貌を持ち、ジャングルの奥深くに暮らしているために、長い間、異なる種であることが知られずにいました。19世紀には、ヨーロッパに運ばれたボノボの標本などもあったようですが、普通のチンパンジーのこともよくわかっていなかった時代、新しい種として記録が残ることはありませんでした。

そんなボノボが、違う種として初めて記載されたのは、1929年、DRCがベルギーの植民地だった時代のことです。やがてボノボは、DRCの中を大きく湾曲して流れるコンゴ河と、東から西へ国を横断する支流カサイ河に挟まれた、アフリカ熱帯雨林の心臓部だけに生息していることも判明しました。20世紀に入ってから、このような大型の“新種”が発見されることは稀で、最後の類人猿とも呼ばれています。しかしその後も、コンゴ盆地の人を拒む深い密林の奥に棲む、彼らの生態はほとんど知られないまま、1960年の独立を迎えました。

そして1970年代になり、DRC(その当時はザイール共和国)がコンゴ動乱から落ち着きを取り戻すと、この最後の類人猿を求めて、各国から調査隊が訪れるようになります。その一つが京都大学アフリカ類人猿調査隊で、人類発祥の地といわれるアフリカ中部の国々で、「野生類人猿の社会から人類社会の進化をたどる」という、壮大な研究テーマを掲げていました。

こうして、未知の類人猿ボノボの生態や社会は、徐々に明らかにされていきます。


広がるバリ地区のボノボ研究の可能性

1970年代のボノボの調査は、彼らの分布域の中心、DRCの赤道州各地で行われてきました。京都大学の基地も、キンシャサから約1000km離れた、熱帯ジャングルの真ん中のワンバ村に設置され、現在まで40年間、研究が続けられています。

初期の観察からは、ホカホカやシリツケといった、独特のセクシュアルな行動を持つこと、メスが優位な社会であることなど、見た目が似ているチンパンジーとは、まったく違う社会の様子が次々に明らかにされました。似たような種でもこんなに異なる社会を持つのだから、その背景を探れば、人間社会の成り立ちを識るヒントが得られるに違いないと、注目を集めてきました。

他方、2015年から、京都大学や日本モンキーセンターが多角的な調査を開始した、バリ地区はボロボ郡(地図の赤丸)に含まれ、キンシャサから直線距離で、150km程度に位置します。地図上にピンク色で示されているように、比較的乾燥したバテケ高原のサバンナ地帯です。本来は、純粋な熱帯雨林居住者と考えられていたボノボが、川辺に広がるジャングルと湿った草原が入り混じる環境を利用しています。今までこのような、サバンナ域に適応したボノボの個体群は知られておらず、生態学的、行動学的調査はやっと端についたばかりです。ここでの研究は、人間社会の進化に新たな視点を与える、世界初の知見が得られる可能性も高いのです。


ボロボ郡には、写真のようにサバンナの中にパッチ状の森が広がり、寄り添うように点在するバテケの村々に、伝統的な狩りや農耕の場を提供してきました。と同時に、ボノボやマルミミゾウ、バッファローといった、大型野生動物の棲み処としても重要です。コンゴ河畔から内陸へ50kmほど入ったバリ地区のカラ(Nkala)村とペル(Mpelu)村にも、そんな伝統的なコミュニティ・フォレストがあり、MMTは2001年から、そこに棲むボノボのグループを馴らしはじめました。




バリ地区の人々

バリの由来は、カラ村とペル村の近くを南流し、コンゴ河へ注ぐバリ(Mbali)川の名前を採ったものです。このカラ村の村長を初めとする有志が、われらが森に棲むボノボと自然環境を守ろうと、ペル村の村長たちと語らってMMTを立ち上げたのです。代表のボキカ氏の生まれ故郷でもあります。

DRCが現在も直面する社会問題として、特に農村部の貧困が挙げられます。多種多様な鉱物資源を産出するおかげで、その利権争いが引き起こす政情不安に、DRCの人々は長年、悩まされてきました。1991年に勃発した暴動以来、政治的混乱が続き、2012年の一人当たり国民総所得はわずか220ドル、国連開発計画が定期的に発表する人間開発指数も最下位に留まっています。

バリ地区もキンシャサから近いとはいえ、交通の便は、コンゴ河をさかのぼる貨物船かブッシュタクシーを乗り継いで、順調にいって3~4日かかります。村には電気も水道もありません。人々の生活は基本的に農業や狩猟採集の自給自足で、そのほかは、ベルギーの肉牛会社経営の牧場で牛の世話をするなどの、細々とした現金収入で賄われています。

たんぱく源を、森で獲れる魚や野生動物に頼っているため、獲り過ぎで動物が減れば、食糧不足に陥ります。キンシャサなどの都市部から、村の森に入り込んで密猟をする部外者も増えており、状況は悪化しています。そんな傾向に危惧を抱いた、村の主だった人たちがMMTを立ち上げ、今後の対策に何が必要かを試行錯誤してきました。

最初に取り組んだのが、代わりの肉を増やすための、肉牛の飼育。しかし、ノウハウがあっても、牛が育つのには時間がかかり、村の人たちが十分、食べられるほどの生産には結びつきませんでした。そこで、次に取り組んだのが、ボノボを主体にしたエコツーリズムの開発です。そのノウハウを得るために、冒頭に紹介したように自然保護団体のシンポジウムに出かけ、WWF DRCの支援を取りつけたのでした。



京都大学野生動物研究センターの関わり



WWFが参画し、バリの2つのボノボ・グループの人づけは、2007年から本格化しました。カラ村とペル村から、動物を追跡することに慣れた若者を中心にリクルートし、交代でグループの追跡に当たってもらいました。トラッカー(追跡者)と呼ばれる彼らは、ボノボと見学者をつなぐ特殊技術者として、エコツーリズムの中心的な担い手となる存在です。

ボノボたちは、森のフルーツや草などを食べながら、毎日数キロを移動して、毎晩新しい場所にベッドを作って眠るので、途中で見失うと再び見つけるのは大変です。朝、ベッドを出る前の5時半ぐらいには寝場所に行き、夕方6時ごろまで丸々1日、追跡できるようになるまでには何年もかかるのです。

バリ地区でも、ある程度、ボノボたちが慣れてきたところで、WWF DRCの関係者を通じて、ボノボ研究に定評のある京都大学に打診がありました。ボノボのエコツーリズムを定着させるために、人づけの仕上げとトラッカーの専門性を高める人材育成への協力を求められたのです。

そこで、長年チンパンジーとボノボの研究に取り組んできた、野生動物研究センターの伊谷原一教授が中心になって、2015年から日本人研究者たちが調査に通いはじめました。伊谷教授は日本モンキーセンターの園長でもあり、純粋なボノボ研究だけではない、新しい形のコミュニティ開発への支援も模索しています。

というのもバリのボノボたちは、新たな生息環境に適応する興味深い研究対象であるだけでなく、「自然環境保全と持続可能な開発の両立」による貧困削減といった、極めて今日的なアフリカの問題に直結しているからです。現在、アフリカ熱帯雨林の80%以上は、地域コミュニティの居住地に隣接していて、ほとんど法的には守られない非保護区にあります。




日本モンキーセンターからの支援

バリ地区では、身近な自然の恵みを存分に味わってきた結果、タブー視されているボノボ以外の動物相が、非常に乏しくなっています。急速なコミュニティ・フォレストの劣化の問題にいち早く着目し、MMTという地元主体の団体を立ち上げ、対処していこうというユニークな人々がいなかったら、ボノボたちも存続が危うかったかも知れません。

このコラボレーションを充実させ、自然を再生していくには、「現地の人がボノボを守るか否か」という二項対立ではなく、「ボノボの棲む森とヒトの使う森」という広い視野が大切です。バリ地区のコミュニティは、保全と持続可能な開発に対する関心が高く、住民の意識改革、野生動物以外のタンパク資源の確保などへの支援によって、消えつつある野生動物が戻ってくる可能性は十分にあります。

今後の決め手となるのは、人々が培ってきたボノボや森林との共生関係にもとづく、地域文化の理解と住民参加の開発を進めることです。その中で、コミュニティの合意形成を図りながら、現在は大きく損なわれている野生動物相を回復し、森林生物多様性を再生できれば、アフリカの将来につながる大きな成果となるでしょう。

日本モンキーセンターのようなNGOは、こうした人と自然の共存を促すパイプ役を務め、環境教育や人材育成のコーディネートを行ってきました。今回は、これから発展していこうというアフリカの現場で、京都大学野生動物センターやアフリカ地域研究資料センターの、コミュニティ開発に関係する専門家の協力も得て、貧困削減という大きなテーマに向け国際協力を展開していきます。


皆さまの暖かいご支援を、ぜひともバリのボノボと人々のためにお寄せください!



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