猿づくしのすごろく


2019年も残すところあとわずか。そこで今回は猿二郎コレクションの中から、お正月の遊び、ということで猿づくしのすごろくをご紹介したいと思います。

これは日出新聞(1885年~1897年,現在の京都新聞)の付録として作られたもので、「猿盡雙六(さるづくしすごろく)」という題が付けられています。発行されたのは明治29年(1896年)丙申(ひのえさる)の元旦で、120年以上前のものです。ちなみにモンキーセンターが設立されたのはちょうどこの発行から60年後、同じく丙申の年である1956年です。


このすごろくは48個あるすべてのマスに猿に関係するものが描かれています。「ふりだし」はサルカニ合戦、そして中央の「あがり」には猿郎関白、つまり豊臣秀吉が描かれています。そのほかのマスには、テナガザルやオナガザルをそのまま描いたもの、「朝三暮四」のようにサルが出てくる故事成語、猿丸太夫(三十六歌仙の一人、平安時代の歌人)や猿画の名手の森狙仙(祖仙)といった人物、猿沢の池(奈良市)のような景勝地、果ては猿轡(さるぐつわ)のような単なる物までいろいろなものがあります。祖仙のように人物を直接描くのではなく、画家の道具で示唆するものもあります。全体をみわたすと、日本の文化の中にどれほど猿が入り込んでいるかがよくわかります。


すごろくといえば、止まったマスに何らかの指令が書かれていることがあります。「猿も木から」のマスにかかれている「ふりだしに戻る」、「サルノコシカケ」にかかれた「三度とどまる」などは現代の私たちにもなじみ深いものです。他にも「立ち舞う」「キャッキャと二度言う」などもありました。今では考えられない指令として、「猩々」のマスには「酒一杯貰う」と書かれています。「猩々」という妖怪には酒好きの側面がありますので、それにちなんだものでしょう。もらうお酒は正月なのでお屠蘇でしょうか。もちろん120年前という時代背景もあるかもしれませんが、いずれにせよ今の子ども向けのすごろくには絶対に書かれていない指令です。




一方で、このすごろくは新聞社製、というのも大きな特徴です。上がりの一歩手前のマスには「猿と犬」と書かれていますが描かれているのは2人の人物です。きちんとした肖像画のように描かれているところを見ると、この絵は当時犬猿の仲だった政治家でしょうか。あるいは「猿知恵」のマスにも人物が描かれています。新聞社らしく、当時の世相を反映したものとも言えそうです。

このすごろくは80cm×60cmとかなり大きなものです。文字が四方から読めるように書かれていることから、当時の家庭でも申年の正月にこのすごろくを床に広げ、四方から家族で囲んで楽しんでいたのでしょう。

さて今年も一年,サポーターの皆様にはご支援いただきありがとうございました.
どうぞよいお年をお迎えください.
(学術部 キュレーター  新宅 勇太)


2019年12月30日更新
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