ヤクシマザル群のαオス交代
私が日本モンキーセンターの飼育員になってから12年くらいが経ちます。その12年間でモンキーバレイのヤクシマザル群のαオス(一番順位の高いオス)の交代がこれまで3回ありました。はじめは、私が飼育員1年目に、当時のαオスであるヒトデが亡くなったことにより交代がおこりました。生前のヒトデに関して、まだ私があまりヤクシマザルたちの飼育に携わっておらず聞いた話でしか知らないのですが、かなり強く、影響力があり、群れには欠かせない絶対的な存在だったそうです。2011年3月にくも膜下出血で病死するまで群れの頂点に君臨し続けていました。
ヒトデ
ヒトデが亡くなったあと、自動的に当時2番目に強かったウシガエルがαオスになりました。ウシガエルは去勢オスで、去勢の影響で他の去勢していないオスに比べて体つきが細く、身体能力にハンデがあったはずです。しかし、当時のメス頭(一番順位の高いメス)であるボケがウシガエルのことをたいへん気に入っており、ボケの影響力のおかげで群れの頂点に立つことができました。αオスになる条件は、強いだけではなく他個体の影響によって決まることがあることをこの時はじめて知りました。
ウシガエル
ウシガエルは1年ほどαオスでしたが、2012年の夏に群れ内の分裂が起こり、最終的には群れ内で大きな闘争が発生したのと同時に失脚しました。この大きな闘争で影響力のあったメス頭のボケや当時の3番目に順位が高いホルストなどをはじめとする数頭のヤクシマザルが亡くなるなど、かなり酷いものでした。闘争の影響は凄まじく、ウシガエルの群れ内の順位は最下位まで落ち、新たなαオスが決まるまでの半年間ほど群れは荒れ続けました。その後、群れが落ち着いた段階で新たなαオスになったのはタイマツでした。タイマツは当時13歳で比較的若く、もともとケンカは強くないと思っていたのでαオスになったのは意外でした。
タイマツ
タイマツがαオスになってからは群れが荒れることはなく、約9年間は穏やかでした。しかし、2021年11月に再び闘争がおこり、闘争の際にタイマツは大怪我で入院、2番目に順位の高かったウインキーが闘争により亡くなりました。再びαオス不在となり、群れは荒れてしまいました。ただ、今回の闘争は前回のように闘争が大きく広がることなく、早々に群れは落ち着いていきました。タイマツは、命が危ない状態になりましたが奇跡的に回復することができました。怪我の完治後、群れに戻すため一度檻越しでのお見合いをしてみましたが、タイマツは再びαオスに返り咲きたいようすを見せたものの、群れのオスたちはタイマツを受け入れることができないようでした。このままタイマツの群れ合流を進めると再び闘争がおきる危険があるため、残念でしたがタイマツを群れに戻すのを断念しました。
タイマツがいなくなったあと、ヒラマサという個体がαオス候補として頭角を現しました。ヒラマサの現在の年齢は8歳でタイマツがαオスになった時よりかなり若く、このままヒラマサがαオスになると群れがまとまらず、また荒れるのではないかと不安が残りました。しかし、群れ全体ではヒラマサのことを認めており、徐々にヒラマサの存在感がましてきました。ほぼほぼαオスとして認めても良いのだろうと思います。4月頃まで現在の群れの状況で落ち着いたままならヒラマサをαオスとして紹介する予定です。
ヒラマサ
私が12年間ヤクシマザルの群れを見てきて思うのが、我々には簡単に理解することができない彼ら独自の社会があり、個体間の関係でさまざまな葛藤があるなかで一生懸命生きているということです。なにか人に通ずるものがあり、やはり霊長類は人にとって身近な存在なのだとあらためて感じました。ぜひ、みなさまもモンキーセンターへお越しいただいた際は、飼育動物たちの社会性や個体間の関係性に注目してみてはいかがでしょうか。おもしろい発見があるかもしれません。
(附属動物園部 北園担当 山田 将也)
2022年2月28日更新
関連キーワード:動物園、群れの歴史
(附属動物園部 北園担当 山田 将也)
2022年2月28日更新
関連キーワード:動物園、群れの歴史