アメリカの博物館にて② アメリカ自然史博物館の霊長類ホール
 アメリカ自然史博物館には、Primate Hall、つまり霊長類が展示のテーマとなったホールがあります。哺乳類の一分類群に過ぎない霊長類が特別な位置づけをされているのは、霊長類がヒトとその他の動物をつなぐ重要なキーであることを表したもので、かつてはこのホールの隣に人類進化の展示室がつながっていたということです。(現在は人類進化の展示室は別のフロアに移っています。)

 霊長類のホールは壁面がガラス張りになっていて、その中にシンプルに剥製が並びます。前回ご紹介した剥製のジオラマを見てからこの部屋に入ると、古典的というか、地味というか、そんな印象を受けました。(前回の記事はこちら)「解説」の部分に力を入れたもの、ともいえるかもしれません。文字や図を使い、情報は非常に多い部屋でした。


キツネザルの形態的特徴の解説(左)と霊長類の脳の解説(右)
 そんな中で私が一番気になったのは、分類の部分です。まず目を引いたのは、大型類人猿のところに掲げられた“Family Pongidae”の文字です。オランウータン科、あるいはショウジョウ科というもので、大型類人猿、つまりチンパンジーとボノボ、ゴリラ、オランウータンをまとめたものです。なかなか今は目にすることのない名前と出会いました。


 もちろん分類に「唯一の正解」というものは存在しません。ですが、大型類人猿をヒトと併せてヒト科、に分類するのはほとんどの研究者が一致するところで、オランウータン科が使われることは現在まずありません。動物園などで古い種名看板がいまだに残っているのは目にすることがありますが、新たに作るものでオランウータン科を採用することはないでしょう。壁に描かれた系統図とともに、ずいぶん古い展示だなとまず思いました。


 さらにその下、チンパンジーのところに目を向けると、驚きの記述がありました。

チンパンジー属(Chimpansee) 1種
チンパンジーは赤道アフリカ地域に分布する。コンゴ川以南のチンパンジーは比較的小型で、研究者によっては別種とする。おもに植物食だが、ときに小型動物を捕食する。

お気づきでしょうか。ここで言及されている「コンゴ川以南のチンパンジー」はボノボのことです。現在ボノボとチンパンジーが同じ種とする研究者はいないでしょう。この展示は相当に古いもののようです。ボノボの調査もおこなっている身としては、ん??と思わざるをえません。



 疑問を抱えた頭のまま、他にも目を向けてみます。マントヒヒの剥製につけられた名前が気になりました。学名はPapio hamadryasと現在使われているものになっているのですが、その下には“Anubis Baboon”という文字が。 確かにヒヒの分類の歴史はなかなかややこしく、アヌビスヒヒやキイロヒヒもまとめてマントヒヒ1種として、アヌビスヒヒなどは亜種に位置付ける、という主張がかつてなされたことがありました。しかしこの「アヌビスヒヒ」の隣にはチャクマヒヒが別種として置かれていたので、それとも違いそうです。歴史的な分類の変遷はともかく、今この展示を見て、剥製のヒヒを「アヌビスヒヒ」と理解してしまうとそれはよくなさそうです。
マントヒヒ(右)とチャクマヒヒ(左)の剥製

 アメリカ自然史博物館のホームページによれば、この霊長類の展示室は1909年にオープンし、その後数度の改装を経て、最後に改装されたのが1964年ということです。60年もの長い間、展示替えがおこなわれていないという、歴史的な展示です。1968年発行の旧モンキー103号には、1964年に訪れた徳田喜三郎の報告が掲載されています。そこにはできたばかりと思われる霊長類展示の写真が掲載されていますが、そこに写る展示は私が見てきたものとほとんど変わりません。

 ですが、前回もご紹介したようにチンパンジーをPan属ではなくChimpansee属とするところはもう少し古い時代の記述が残っているように思われました。そうするとこの霊長類展示の記述自体はその前の改装、1932年までさかのぼる可能性があります。実際、ボノボが学術的に新種として発表されたのは1929年のことです。1932年の改装で採用されなかったとしても不思議ではありません。長い時を超えた展示、その歴史の重みはありますが、新しい知識、正しい情報を伝える、という博物館の本来の役目を改めて考える場面となりました。

(学術部 キュレーター  新宅 勇太)
2023年12月29日更新
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