【イベント報告】1月9日、京都大学時計台ホールにて、ドキュメンタリー"VIRUNGA”上映会が開催されました。


拡大 約1.1MByte

※ 今回の”VIRUNGA"は、日本モンキーセンターが実践の場を提供する「京都大学霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院」の履修生たちが主宰する、自然保護映画の定期上映会Conserv'Session第3回で取り上げられました。

今年最初の3連休の最終日、京都大学の時計台ホールで映画“VIRUNGA”(ヴィルンガ)の上映会が行われ、夕方5時からという開始時刻にもかかわらず、70人近い参加がありました。これまでは、留学生を中心に30人規模だったそうで、マウンテンゴリラへの関心の高さがうかがわれました。

映画は、アフリカ中部・コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo; DRC)の東部、ルワンダ・ウガンダとの国境沿いに広がる、ヴィルンガ国立公園の自然とレンジャーたちの保護活動を中心に紹介していきます。ヴィルンガ国立公園は、1925年にアフリカ大陸で最初の国立公園となり、その後1979年に世界自然遺産に登録されました。当時は隣国ルワンダとともに、マウンテンゴリラのエコツアーが楽しめる数少ない場所として、海外からの観光客で賑わっていました。地域住民と国立公園当局が協力して、野生動物の保護と持続的な発展を目指すモデルケースとしても、注目を集めていました。

しかしそんなヴィルンガも、1990年代に入りDRC(当時はザイール共和国)全体に政情不安と経済的混乱が広がり始めると、その影響を大きく受けるようになります。1994年に勃発した、隣国ルワンダのジェノサイドからの難民が数十万の単位で流れ込み、地域の経済や公園の森林を初めとする資源を圧迫。やがて1997年に首都キンシャサでクーデターが起こると、公園周辺では体制側と反体制側が入り乱れて、地域紛争の様相を呈します。

それから20年という月日が経った現在、DRCの政情は落ち着きを取り戻して、経済発展の兆しも見えてきました。しかし、現政権誕生に深くかかわり、さまざまな火種を抱えてきたヴィルンガ国立公園の周辺地域は不安定なままで、1994年に世界危機遺産に登録されてから、まだその状況を抜け出すに至っていません。

映画“VIRUNGA”では、アフリカ大地溝帯西端に位置する火山群の山肌に広がる、目を見張る美しい自然と野生動物たちの映像とともに、この地域に長くくすぶってきた政情不安と、国立公園を守るレンジャーたちの闘い、保護区の中に眠る資源を狙う、外国資本の暗躍などを丹念に描きます。舞台は密猟で親を殺されたマウンテンゴリラのみなしごの保護施設や公園管理事務所。密猟者との銃撃戦などで、すでに130人ものレンジャーが命を落としている日々の取り締まりの苦労や、開発推進派からの買収の誘惑、また反体制派が州都陥落を狙ってしかけた襲撃の合間を縫っての脱出劇は、手に汗握る場面の連続でした。

上映の後は、参加者も交えたディスカッションの時間を、1時間ほど持ちました。

山極寿一・博物館長は、ルワンダでのマウンテンゴリラの研究や、南隣のカフジ=ビエガ国立公園における大型類人猿の長期研究を手掛け、この地域に密着した体験談を、具体例を交えて語りました。中でも強調されたのは、内戦時に本当の意味でゴリラ=地元の自然を守るのは、地域コミュニティの気づきと自主努力が何物にも勝るということ。そして地元で立ち上がったNPOポポフ(Pole Pole Foundation)へのバックアップを、日本からももう20年以上続け、政府や国際組織を頼らなくても、少しずつ成果が見えてきていること。何よりも、それを地域住民自らが実感し、継続する力になりつつあることが、最大の成果であると言えるでしょう。

岡安直比・国際保全事業部長は、イギリスの石油会社の世界自然遺産登録地内での探査をめぐる攻防や、ヴィルンガ国立公園管理事務所長とレンジャーたちの過酷な毎日を、WWFを通じてリアルタイムに観ていた当時を語りました。映画“VIRUNGA“では中心が石油開発でしたが、この地域はレアメタルと呼ばれる鉱物資源の産地でもあり、世界中の闇組織が盗掘資源を買っているとも言われます。そのレアメタルの行きつく先は、私たちの日常生活に欠かせない携帯電話の電池やラップトップのコンデンサー...。

気づかないうちに、マウンテンゴリラの絶滅に加担しないために、何をすべきか、何ができるか。これからも、皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。

最後になりましたが、今回の上映会には、愛知からはるばるお出かけ下さった、日本モンキーセンター友の会のメンバーさんもおられました。ありがとうございました。