三魔女、テケ王国を行く。

現地マラリア事情
 いやはや、今、思い出しても、9月10日の薬のチョイスをしくじったのが悔しい。さっさとマラリア治療薬を飲んでいれば、寝込むこともなく3日目にはメドがついて、後半の仕事もこなせていた。首都までセスナで飛んで、そのまま入院、点滴加療なんて事態は避けられたはず。あぁ、“野生の勘”を信じればよかった!

 究極の判断間違いだった、風邪用抗生物質を飲みはじめて、刻々と回らなくなっていく頭で、ヤウンデまでの行程を考える。移動は2日置き、800kmあるけど、慣れた道だから耐えられるだろう。明日の村での調査団の聞き取り同行を、申し訳ないけどWWFスタッフに任せて、体力温存させてもらおう、etc.

 一応、考えていたはずだが、下がらない熱と一緒に、ジャングルをあてどなく歩き回る悪夢を見はじめ、うつつとのさかいがおぼろになっていく。貧血で真っ白になった私が、亡霊のようにフラフラ~と起きてきては、ちょっとしゃべってちょっと食べて、周りには不気味なことこの上なかったろう。恥ずかしや。心底、薬に弱い私は、抗生物質を飲むと思考停止、ギクシャクギクシャク、壊れたゼンマイ人形化する。だからどうしようもない時以外、使わず、飲み終わるまで隠れている。

セスナの機上から観た、迫力のコンゴ熱帯ジャングル
 この惨状を見かねた調査団から、15日、ヤウンデに飛ぶセスナにあった予備の1席を提供される。悪夢の続きか「誰かの席を横取りした」という強迫観念にかられながらも、これ以上の足手まといもご迷惑という理性も残っていて、ありがたくお受けする。

 ヤウンデ到着後、すぐフランス医師協会のクリニックに連れて行ってもらった。知らなかったが、今時は簡易マラリア診断キットなるものがあって、ポタポタ血を垂らして15分。「マラリアだと思うよ」と即答が来た。

 そのあとも、先生はじーっと私を見つめ、「それにしても、ひどい疲労だ」とボソッと言ったと思ったら、「今日は何日?」と想定外の質問。

「治療方針が理解できてるか、仏語テストかしらん」と思いながら、日付を答えると、年号も要求される。自分の生年月日、生まれた場所、と来て、「ハッ、ひょっとして脳性マラリアの疑い!?」と悟り、思わずニヤッとしてしまう。

 その反応に安心したか、いかにもフランス人のいたずらっぽい笑みとともに、“難しい”最後の質問「日本の首相は?」。思わず、「何をいわせたいのかな?」と質問で返そうかと思ったが、「Shinzo Abe」と合唱してお手打ちと相成った。

 冗談はさておき、先生の指示は 緊迫していて、「一刻を争うから、今日中に本検査を受けて、マラリアだったらすぐ治療開始」「いずれにしても、今日は一人でいちゃダメだ。入院するか、他の人と同じホテルに泊まりなさい」
「治療薬の副作用の可能性考えると、入院して点滴してもらおう」と腹をくくる。そして当然の帰結というか、本検査の結果は熱帯熱マラリア5+。市内一といわれる病院へ直行、救急病棟にそのまま入院。夜には点滴がはじまった。

 幸い経過は順調で、初日はひたすら寝ていたが、2日目に入ると熱も下がって気分も良くなり、血中からマラリア原虫が減った感触が出てきた。こうなれば、こっちのもの、3日3晩の点滴で、血液検査もネガティブに戻り、無事、退院。そのまま、予定通り帰国。

 それにしても今回は、マラリア医学の進歩を存分に体験することになった。30年に渡るアフリカ放浪の、初期は繰り返しマラリアに罹り、今回の数倍、“ヤバイ”時もあった。そのたび、マラリアで死ぬか薬で死ぬか、という治療に臨んだものだ。

 前述のような特殊?体質のままMbabaの境地に至った現在、この天秤が「薬で死ぬ」方に大きく傾き、それをどうやり過ごすか?が、実はこの数年の課題だった。しかし結果オーライ!野生の勘と副作用のない治療薬で、まだしばらくは行けそうだ。

 何でそこまでしてアフリカと、呆れられ続けて30年。そのぐらい、彼の地の自然には“毒”がある。これからも、少しでも皆さまにお届けできれば幸いである。
岡安 直比
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2017年9月27日更新
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