三猿の世界をめぐる② 三猿の掛軸

特別展『三猿博 ~見ざる・聞かざる・言わざる大集合』は先日無事に開幕しました。前回ご紹介した寄贈資料の一部も含め、全部で200点を超える資料を展示しています。日本各地、世界各地の人形だけでなく、三猿のあしらわれた道具類など、多様な資料を展示しています。「三猿」とくくるには忍びないくらいの、多彩な猿たちの表情をぜひ会場でお楽しみください。

展示スペースの都合でなかなかお披露目するのが難しいのが掛軸です。限られたスペースと手作りのフレームの準備を考えると、どうしても展示できる数は少なくなります。今回の特別展でも掛軸は1点だけです。しかし三猿を描いた掛軸はいろいろあります。せっかくですから今回は三猿を描いた掛軸をご紹介しましょう。


最初にご紹介するのはこの掛軸です。以前もこのサポーター専用ページでご紹介しました(こちら)。3頭の猿が互いに手で目と耳と口をおさえあったものです。銘には狙仙とあり、江戸時代に大阪で活躍した森狙仙の作とご紹介しました。しかし昨年11月に「開運!なんでも鑑定団」で鑑定していただいたところ、狙仙の作ではないと判明しました。確かに毛の描き方はちょっと足りないようです。狙仙は生前から贋作が多数つくられていたようですから、贋作の存在は狙仙が当時から人気の絵師だったことを物語っています。また、三猿というモチーフも当時人気のテーマだったのだろうと想像することができます。今回も展示することを考えましたが,スペースと展示の構成から断念しました。


2021年2月に寄贈いただいた資料には30点ほどの掛軸がありました。その中には青面金剛(しょうめんこんごう)、猿田彦神(さるたひこしん)、そして富士山を描いたものがありました。これらは江戸時代に盛んにおこなわれていた庚申講で使われたものと考えられます。旧暦で60日に1日まわってくる「庚申(こうしん)」の日に、地域で作られた庚申講のメンバーが当番の家に集まり、無病息災や諸願成就を祈り、飲食して夜通し歓談するということがおこなわれていました。もともとは平安時代に大陸から伝わった道教にもとづくものでしたが、時代とともに仏教や神道、あるいは富士信仰などさまざまな宗教や信仰とまざり、日本独自の風習になったようです。これらの掛軸は庚申講の夜に床の間にかけられたものでしょう。現在では庚申講はすたれてしまっています。こうした掛軸はかつての信仰を物語る貴重な資料と言えそうです。

左から青面金剛、猿田彦神、富士山を描いた掛軸



他にも三猿と関係する掛軸を何本か寄贈いただきました。その中から面白いものを1つご紹介します。描かれているのは持物から恵比須(左)、福禄寿(中央)、そして大国天(右)だと思われます。縁起のいい福神が穏やかな表情で三猿のポーズをしているユニークな掛軸です。猿以外をモチーフにしたものは、「見ざる=見猿」の語呂合わせと関係のない日本以外の国ではいろいろとあるようです(次回ご紹介しましょう)。しかし日本ではめずらしい発想なのではないでしょうか。いつか実際の資料をお披露目したいものです。
(学術部 キュレーター  新宅 勇太)


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2021年3月31日更新
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