三魔女、テケ王国を行く。

リンガラ語講座「マタビシ」
 8月14日、コンゴ民主共和国(DRC)の首都、キンシャサに到着。ボノボの里Mbaliに近づいている、静かな興奮が胸に落ちる。6月中旬から本格的にはじまった乾季も、そろそろ終盤。昨日の明け方、初めて雨が降った。季節の移ろいを感じる。

 今回は、Mbaliから連続で、カメルーン南東部のゴリラのプロジェクトサイト訪問も控えている。その準備に首都のヤウンデに寄ったりして、すでに日本出発から3週間経った。乾季の真っただ中で過ごすのは数年ぶりだが、こんなに寒かったかしらん? 朝は20℃を切る日もあって、毛布が欠かせない。セーターが欲しいぐらいである。

 Mbali訪問は、10月の開始に向けて準備中の、コミュニティ支援プロジェクトの調整が大きな目的だ。ボノボの隣人、テケの人々が、ブッシュミートと呼ばれる野生動物の肉に、日々のおかずを頼らなくてよくなるように、ホロホロチョウやオニネズミを家畜化しようという試み。

 その下準備に、4月と5月に、1泊2日、4泊5日という慌ただしい日程で、日本モンキーセンターをDRCの国際NGOに登録する道を探しに来た。いつもお世話になるレイモンド先生に、この時もアシスタントを当てがってもらい、監督省庁に該当する環境省のしかるべき部署のDirectorに挨拶にいった。

 DRCでは、この役所への“挨拶”というのが、曲者である。慣習に従うと、≒「マタビシの値段を聞きに行く」ということである。ちなみに、30年前に次々、DRCで研究を始めた、Mbali調査隊の隊長をはじめ(当時)うら若き面々が、最初に覚えたリンガラ語の単語が、このマタビシ=袖の下、である(そういえば、余談だけれど、なんか「下=隠し場所」が、日本語は“袖”で英語は“Table”なのが、お国柄を表しておかしい)

 で、この時も、女性ディレクターは、月曜朝一番のアシスタントくんの電話に即、反応。「明朝、書類を持ってこい」と言う。そしたら、今、出張中の大臣が金曜日には帰ってくるので、土曜日にはサインをもらって渡せるようにする、と言う。
「土曜日だと、私もう、帰っちゃってるんだけどな、次に来るまでにどんな準備が必要か、訊きたいだけなんだけど」と思いつつ、感触だけ探りに“挨拶”に行った。

 すると、さっそく登録に何が必要か、の懇切丁寧な説明があり(この辺は、DRCの官吏は本当に手早くて優秀である。もれなく必要書類を揃え、中身まで書いてくれたりする!)、分厚い書類の中で、大臣がここだけは目を通す、という部分の例に、すでに承認を受けた他団体の書類まで、コピーしてくれた。

 そのあとは、自分がいかに大臣とツーカーの仲か、というお決まりの物語がはじまり、「明日の朝までに持って来れば、何とかなるわよ、明後日からだと、私が大臣と入れ替わりに出張に出ちゃうけど」と、再度の催促。「ちょっと手数料がかかるけど」というので、いくらぐらい?と訊くと、「国内のNGOは$1,000で、国際NGO は$3,000だけど、急いでるみたいだから(急いでないってば!)、特別に$2,000にしてくれるよう、私が交渉してあげる」。

 私がアシスタントくんを通訳に仕立て、フランス語もリンガラ語も分らないふりをしているので、しびれを切らした彼女は紙に値段表を書いて見せてくれた。合間にリンガラ語で「全然、意味わかってないんじゃないの?(アホ?)」と、焦れてアシスタントくんに向かって悪態をついている(笑わないように一苦労)。

 取りあえず、考えてみると返事して、事務所を後にした。そしたら、なんと、その3時間後の午後1時、内閣総辞職が発表され、環境大臣も交代の発表。やっぱりね。彼女、書類をコピーしたの、後悔してるだろうなぁ...。彼女のコネが利く”前の”大臣の署名は、これでただの紙屑だもんなぁ。

 皆さん、お分かりですね、DRCに行くなら「マタビシ」という単語を覚えるのが必須なことを。言葉自体より、それが出てきたときに、どう身を処するかが大事なのです!
岡安 直比
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2017年8月22日更新
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