三魔女、テケ王国を行く。

メリバ・ホテル
 前回の美穂さんのエッセイに、ホテルのことが出てくる。京都大学の研究チームが定宿にしている、コンゴDRCの首都、キンシャサにあるメリバ・ホテルである。隊のメンバーはみんなここに泊まるように、ということになっている。WWF(World Wide Fund for Nature:世界自然保護基金)のキンシャサ事務所からほど近いところにあり、WWF 割引がきく。基本的に快適なホテルである。リンガラ語かフランス語しか通じない。英語は通じません。研究チームは長い付き合いだから、ホテルの方と人間関係もできていて、不安はない。

 もちろん、シェラトンとかヒルトンとかいうような高級ホテルじゃないけど、そんな安ホテル、というわけでもない。綺麗にベッドメークされている眠りやすいベッドがあり、そのベッドに蚊帳もついていて、断水することもなく、部屋のトイレも温水シャワーもちゃんと機能している。冷房もある。京大の隊がいつも使っているから、安全でもあるわけで、わけのわからない男が夜中にフロントからしつこく電話したりしてくることもない。そんなこと、そんなにあるはずないでしょう、と思うかもしれないが、そういうことも、よその国に行くと、結構あったりして、私は、怖いから電話線を引き抜いたり、ドア止めのくさびを持ち歩いたりしていたこともあるのだ。まったく、東洋人の女があまり人の行かないような外国に一人で泊まったりしていると、バカにされやすいのだ、としみじみ思う。

 と、メリバ・ホテルはそれなりにちゃんとしたホテルなのではあるが、ある夜、夕食の誘いに車で迎えに来た友人は言った。「あのさ、同じくらいの値段でもうちょっとマシなところに泊まれるはずだけど。この地区、危ないよ。車で入ってきたけど、怖いな、この道。いや、ちょっと、まずいんじゃないの、ここ?ホテル、かわったら?」。私は「いいえ、隊はみんな同じところに泊まるのでかわりません」と言った。友人は、私の国際保健の仕事仲間で、コンゴ保健省で働いているJICA(Japan International Cooperation Agency :日本国際協力機構)専門家である。つまりは、外務省とか、JICAとか国連とか日本企業とか、そういう「公式」に「お仕事」に来る人たちは、決して使わないような地区にある、そういう人たちは決して使わないようなメリバ・ホテルは、それなりのコンゴDRCの混沌がかいま見える地区にあり、それなりの値段で、それなりの設備の、それなりに安全なホテル、なのである。
 それなりなので、それなりの覚悟も苦労もあったりもする。

 着いた日、私の部屋の鍵が壊れた。鍵を閉めようとして鍵を鍵穴にさしたら、鍵が抜けない。ビクともしないのだ。鍵が抜けないと鍵がかけられないから、部屋を出ていけない。どうしてくれよう。フランス語もリンガラ語もダメな私は、それでも必死でフロントのお兄さんに実情を説明して部屋まで来てもらった。彼と私は言葉が通じないはずなんだけど、彼がやれやれ、という顔をして、「あんたね、これ、無理して回したんだろ、無理したら壊れるんだ、この鍵、デリケートなんだから。取り替えるしかないじゃん。こうなったら」と私に言ったのは全てよくわかった。彼は嘆息しながら、ドライバーを持ってきて、なんと鍵のドアノブごと全部外してしまって、向かいの空いていた部屋のドアノブごと、これまた外して交換し、その部屋の鍵を、じゃ、はい、と私に渡した。向かいの部屋、どうするんだろう、と思ったが、それを心配するのは私の仕事じゃない。ひとまず、安心して、そっと鍵を閉めて部屋を出た。

 次の日の夜。ものすごくたくさんの車がホテルの周りに押し寄せている。階下で結婚式が始まったらしい。メリバ・ホテルはそんなに大きなホテルじゃないから、階下で行われている結婚式の様子は二階に泊まっている私たちにつぶさにわかる。ほどなくライブのリンガラ・ミュージックが始まる。最初は、おお、コンゴっぽくていいな、などと思って聞いていたが、夜半を過ぎても終わる気配もない。大音量のリンガラ・ミュージックはなんだか途中でライブから、録音した音楽に変わった気配もあるが、とにかく、音量が下がらない。東京で静かな眠りを貪っていた日本人は、とても寝られません。枕に耳を押し付けたり、化粧用の脱脂綿で耳栓を作ったりしたけど、どうにも、うるさくて寝られない。リンガラ・ミュージックはとうとう明るくなるまで続いた。本当に一晩中、大音量の音楽でうるさかったのだ。この旅以降、私は、「耳栓」を持ち歩くようになった。

 ああ、メリバ・ホテル。しかし、私たちはこのホテルに泊まり続けるのだ。何があろうとも。
三砂 ちづる
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2017年9月9日更新
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