猿画の世界を探る④ 「猿知恵」に映す人
 猿知恵:こざかしい知恵、浅はかな知恵(広辞苑第七版より)

 決していい意味では使われないこの言葉ですが、あらためて考えてみると「猿に知恵がある」ことを前提にしている言葉でもあります。他の動物で「知恵がある」ということはあまりないでしょう。猿はかしこい、だけど人と比べると少し足りない、猿が人と動物の間に位置しているような感覚を、先人たちは感じていたのでしょうか。これも猿にたいして日本人が抱いてきたさまざまなイメージのうちの1つと言えるでしょう。

 今回の特別展ではそんな「猿知恵」にまつわる絵も展示しています。その代表格は大津絵です。江戸時代、東海道の大津宿(現在の滋賀県大津市)で旅行者へのお土産物として作られていた大津絵は、仏画や風俗画、教訓画など多種多様なテーマを描いてきました。その画題の1つが、「瓢箪鯰」と呼ばれるものです。


 瓢箪鯰はツルツルしたひょうたんで、ヌルヌルしたなまずを抑え込もうとしている図です。もともとは禅問答の公案、つまり修行の際に考える課題でした。しかしこれを猿がしようとすることで、できもしないことを努力する浅はかな「猿知恵」を表現しています。大津絵を代表する人気の画題の1つです。

 これだけでは、ただ猿を笑うだけの絵になってしまいます。しかしこうした絵にはその裏に、人間への皮肉が含意されていることが多くあります。大津絵には人への戒めの意味を込めて、しばしば「道歌」が添えられました。瓢箪鯰に添えられたのはこのような歌です。





 ひやうたんに 似たる思案の さる知恵て いつ本心の なまずおさえむ
 道ならぬ 物をほしがる 山ざるの こゝろからとや 渕にしづまん
 (もうひとつの江戸絵画 大津絵展 (東京ステーションギャラリー,2020年)図録より)

 おかしな手段をとることで人の本心をとらえきれない人の姿、あるいはどうやっても不可能なことを望む人の心を猿の姿に映して風刺したのが瓢箪鯰、というわけです。ちなみに、この瓢箪鯰の図柄は諸事の円満解決を願う護符ともされています。確かに、こんな難しいことができるなら、他の問題も無事に解決できそうです。同じ絵でも見方が変われば意味合いも変わってくる、イメージの多様性を垣間見れる1枚でもあります。
 もう一つ、「猿知恵」の絵があります。それが「猿猴捉月図」です。木の枝に座るのはテナガザル。水面に映りゆらめく月をすくい上げようと手を伸ばしています。このまま手を伸ばしていけば・・・テナガザルは水に落ちておぼれ死んでしまいます。中国が発祥で、もともとは仏典の中にこの話が見られるといわれます。日本でも人気の画題となり多くの作例が作られました。これも無理なことに手を出して身を滅ぼす、人のそんな浅ましさが重ねられています。

 こうしてみると「猿知恵」は単におもしろおかしく猿の振るまいを茶化しているのではなく、人への戒めが込められたもの、ということがよくわかります。「猿の振り見て我が振り直せ」、人を写す鏡としての猿の姿が、こうした絵に描かれています。


 ここまで猿知恵と紹介してきましたので、最後に一点ご紹介しましょう。「猿猴望月図」と呼んでいるものです。構図は猿猴捉月図とよく似ていますが、ここに描かれた猿はちゃんと空を見上げ、浮かぶ月に手を伸ばしています。空の月もまた、手を伸ばしても届かないものですが、だからといって決して高望みをしているわけではないでしょうし、身を滅ぼすわけでもありません。作者はこの猿にどんな思いを重ねたのでしょうか。
(学術部 キュレーター  新宅 勇太)


猿画の世界を探る これまでの記事はこちら。
①特別展のきっかけ
②資料を選ぶ
③あとからわかること


2022年6月17日更新
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