三魔女、テケ王国を行く。

感性も価値観も“科学”の糧
 「進化(論)」にロマンを感じるのは、昔からの“癖”である。それが高じて入った研究室は「人類進化論講座」。隊長のお父上、伊谷純一郎氏(先生と呼ぶと嫌がるから)が率い、初代の弟子がボノボの加納大将や、チンパンジーの西田さん。伊谷さんがアフリカ類人猿の生息地を回った後、長期調査に送り込んだ若手だった。

 それから時代が下って1984年。伊谷さんの定年までに、大学院の修了年限が来る最後の弟子として、入学したのが何を隠そう私だったのだ。ニホンザル研究でサル学が端についたのが1948年、アフリカ“探検”が1958年だから、いかに若い学問だったのかがわかる。そして入学直後に伊谷さんは、「人類社会の起源」の一連の論考で、人類学のノーベル賞と称される「ハックスリー賞」を受賞。最年少の学生として、京都都ホテルで催された受賞祝賀会で、着物を着てお祝いの花束をお渡しする栄誉に恵まれた!(今は昔のMbabaの想ひ出…土壇場でなぜか伊谷さんでなく、今西錦司御大にお渡しするオチ)

 つまり日本のサル学は、戦後またたく間に世界に冠たる学問となったのだ。餌付けして慣らした群れを、名前を付けて個体識別し、行動観察するユニークな手法で注目を集め、賛否両論も呼んだ。いわく「名前をつけて個性を認めるなんて擬人化が過ぎる」「餌づけされたサルの行動は自然の姿ではない」etc.

 私が学生時代は、中でも「擬人化」が越えられない一線という感じで、日本と欧米の研究者の間に立ちはだかっていた気がする。屋久島や金華山で野生群の調査が進み、餌付け群との違いが明らかになったこともある。でも擬人化“問題”は平行線な感じで、「大雑把な連中にはサルの表情が読めへんのヤ」なんて軽口をたたいて、感性の違いとして片づけたりしていた。

 すでにジェーン・グドール女史の、「チンパンジーのアリ釣り」(道具使用)を初め人間という動物の常識を覆す、数々の業績も世に鳴り響いていた。でも彼女も動物行動学出身のせいか、チンパンジーの「社会」の存在には懐疑的で、母子の結びつき以外は認めない時期もあった。

 もちろん着眼点が違えば、同じものを見ても結論が違ってくるのは世の習い。でもこの“擬人化”にまつわる欧米人の抵抗は、自然科学の議論よりもっと根深い価値観がもたらす感があった。実際、大学院を出て国際風来坊生活を始め、さまざまな場面で「神が創りたもうた人間は動物とは違う(擬人化は冒涜)」という、キリスト教の世界観が無意識ににじみ出てくるのを見て、妙に納得したものだ。
 他方、中部アフリカMbabaとなった今、不思議なのは、「チュウオウ」チンパンジーという私がお付き合いのあるチンパンジーは、ほとんど集まったところを観ないこと。ベッドも1~2個ずつ、バラバラと見つける程度である。最初にこの人たちを相手にしていたら、チンパンジー社会の存在を“発見”するのに、もっと時間がかかったのではあるまいか。

 そもそも私の中には、先輩後輩が明らかにしてきた、東や西のチンパンジー社会のイメージが沁み込んでいるから、チュウオウチンパンジーたちは「どんな風に“大集合”するんだろう」という頭がある。でも待てよ、本当に集まるんだろうか?

カメルーン南東部ロベケのチュウオウチンパンジー、この時は6人”大集合”

 深いジャングルの中で人づけが進まず、チュウオウチンパンジーの社会は、謎に包まれていると言っていい。集まってなんぼの「ボノボ社会」から見たら、正反対の価値観に見える“集まらない”社会だったら?

 かと思えば、もっとよくわからない、他の種と集まっちゃう可能性も見えている。そう、同じ場所に暮らすニシゴリラと...。ゴリラの方も変で、いくつもグループが集まって、一緒に過ごしたりする。離散離散のチンプと離合集散のゴリラ!?

 「ボノボに聞いてみよう!」もいいけど、ひょっとしてチンパンジーやゴリラに、“進化の道筋”を聞き直すべきなんじゃないかしらん。チュウオウMbabaは妄想の勢いが余って、そんな境地に達しつつあるんである。
岡安 直比
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2018年5月16日更新
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