三魔女、テケ王国を行く。

初めて
 人生何事も、「初めて」ということがある。それは、あまりにも心躍ることであると同時に、どうしたらいいんだろう、という不安も、もちろんある。岡安直比さんは京都大学で、このHPにたどり着くような方にはあまりにも有名な、伊谷純一郎氏に教えを受け、ずっと大型類人猿を追いかけてきた人、中村美穂さんは東京大学で西田利貞氏に教えを受け、「チンパンジーの子殺し」を世界で初めて動画で記録した人。二人とも、「アフリカで類人猿を追う」にかけてはベテランである。この連載を書いている三人のうち、私一人が、「森でボノボを追う」ことが「初めて」であった。

 私は「母子保健」の研究者である。母親とか子どもとか性と生殖、とか、そういうことを研究課題として、出産や月経、子育てや生殖、といった人間のありようや行動について「疫学・公衆衛生」という立場から研究してきた。こういう生と生殖に関わる分野、というのは、まさに、人間とはいったい何なのか、ということに向き合わざるをえないことが多すぎる。疫学、公衆衛生の方法論からは外れていくような身体技法や心の問題もある。人間の根源を見ている、という瞬間が、研究を始めてから何度もあった。そういうことを考えるたびに、ボノボの事が思われる。思われてどう、というのではない、「ボノボを研究する人たちも、きっと求めているのは人間の根源を見たいということだろうなあ」と言う思いである。それには理由がある。

 20代の終わり、琉球大学保健学研究科で学んだ頃、そこではボノボ研究(その頃はピグミー・チンパンジーと言っていた)の第一人者、加納隆至氏が教鞭をとっておられた。私は研究生活の最初に、「ボノボ」のことを「刷り込まれた」のである。自分が専門としている分野とは違うのだが、日本の霊長類研究者たちが何を見ようとしているのか、はいつも頭の隅から離れなかった。

 そして2016年、30年を経て、「ボノボのすむ森」のあるMbaliに誘ってもらったのだ。ここからどういう研究や考察につながっていくのかわからないが、とにかく私はボノボを見たかったし、ボノボを研究している人たちと時間を過ごしたかった。
 とはいえ、「初めて」である。朝3時半に起き、暗いうちに、ボノボの昨夜寝たところにたどり着くことを目指して、ライトを頼りにトラッカーについて、森に分け入り、ひたすら歩く。ボノボが起きた後は、ひたすらボノボを追う。そういうことをするのが「初めて」なのである。

 研究班というのは、美穂さんも書いているように、それぞれがそれぞれの研究テーマを持ち寄って集まり、自分にとって必要なことは自分で判断して決めて、自律的に動くのがあたりまえだ。誰かが教えてくれるわけではない。自分で手探りで求めていく。しかし、今回、こういうことが全く「初めて」の私にとって、この連載の冒頭に書いたように、喫茶店スメルで、美穂さんと二人、直比さんにあれこれ聞けたことは本当にありがたかった。聞くところによると、美穂さんも、「森で類人猿を追う」はずいぶん久しぶりのことだったらしい。

 直比さんから行く前に教えてもらったこと。必要なもの。滑らない靴。キャラバンシューズは、逆に滑る。「バッシュ」つまりは、バスケットシューズが一番滑らない。雨が降ったり、道がどろどろだったりすることがあるから、長靴もいる。「日本野鳥の会」の折りたたみ式長靴が役に立つ。あと、ズボンもよく濡れるから、すぐ乾く「作業ズボン」が一番いい。ポケットもたくさんあるし。女性用作業ズボン、というのも今やインターネットでいろいろ探せてすぐ買える。そして、厚めの靴下。サファリアリがのぼってくるから、ズボンの裾は、靴下の中に入れること。上に着るものは長袖。それに雨具。リュックサック、水筒、双眼鏡。そして、直比さんが絶対持っていくように、と勧めたのが、モンベルの「三角椅子」であった。森でボノボが昼寝している時はこちらも座って待つ。観察するときも座る。森の中で、要するに、座ることがよくある。その時に、森のどんな場所でも広げて座れる「三角椅子」は本当に役に立つ。直比さん、ありがとう。

 人生、この時間のために、ここまで生きてきた、と思うような時間が訪れることを、至福と呼ぶだろうか。森の中、「三角椅子」をおいて座り、トラッカーや隊の人たちの気配の中、ボノボを見上げていた至福を、さて、どのように書いていけるだろう。そうやってこの連載も始めたのであった。
三砂 ちづる
バリ・ババ・ミサトのバックナンバーはこちら

2018年2月4日更新
関連キーワード:アフリカ、ボノボ、海外、おもしろい