三魔女、テケ王国を行く。

津田塾大学
 ちなみに、前回の連載に載せている札束の写真は、だいたい300ドル分である。キンシャサについてすぐ、この連載に頻繁に登場する紳士、T氏こと、ベテランアフリカ研究者武内さんに連れられて、両替屋で300ドルをコンゴフランに替えた。渡されたのがこの見るからに汚い500コンゴフランの束であったのだ。500っていう単位しかないのかと思っていたら、美穂さんの写真に載っている1000とか、もっと大きな単位の5000とか、あるらしいことを聞いたのはかなり後のことであった。さしあたりは渡されたものが500コンゴフランの束だったので、そういうものだと思って、この300ドル分の500コンゴフランの束を、前述の美穂さんの連載と同じように、「破れたり」、「セロテープでつぎがしてあったり」したものがないか、一枚ずつ確認して両替屋にその場で、「これは使えないから替えろ」と申し出なければならない。それにしても、何?このお札?汚すぎないか?臭うし・・・。やれやれ。

 ところで、私は東京のはずれにある津田塾大学という女子大に勤めている。1900年に日本最初の女子留学生津田梅子が設立した女子英学塾を母体とする津田塾大学は、日本で唯一、「女子大」という名前のつかない女子大である。女子大なのだが、おおよそ女子大らしくなくて、学生たちは、特に群れることもなく、スタンドアローンでいることを妨げられていない。一人で弁当を食べ、一人で授業に出て、一人で図書館でせっせと勉強することを、誰も妨げない。質実剛健な女子大、と言われている。東京とも言えない田舎、小平市の森の中に建っていて、どんな人でも自分の居場所を見つけられる、まあ、ちょっとしたサンクチュアリーである。

 学生たちの海外への関心はとても高く、他の大学だったらちょっとみんな足を踏み入れないようなところに、休み毎に出かけていく人が少なからず、いる。学生が、カンボジアに行く、とか、ウガンダに行った、とかいう話をすると「わあ!いいねえ」と皆が言うような、大学である。ごく普通の関東圏の大学に通っていた我が長男はそのような津田塾生の話を聞いて「ウガンダ?カンボジア?女子大生ってアメリカとかロンドンとかオーストラリアとかいくんじゃないの?」と言っていた。そういうところも行くが、ウガンダやカンボジアに好んで行くのが津田塾の学生である。
 今年から、この連載がご縁で、岡安直比さんに、集中講義で「リンガラ語」を教えてもらうことにした。この連載ではすでに何度も取り上げられている、コンゴDRCの公用語である。こんなマイナーな言語、履修する人がいるのか、と心配していたが、普通に30人以上履修して盛況だったという。リンガラ語を三十人もハイハイ、と履修するって、どうなんですか?津田塾生。

 開学から、すべての卒業生合わせて3万人ほど。小規模な大学なのであるが学生時代からこのような感じなので、卒業したら、あちこちに行くようになる人が少なくなくて、世界中に卒業生がいる。私は世界のあちこちで津田塾の卒業生に会うことに驚いていた。なんでここにもいるの、という感じで、どこにでもいるのだ。

 コンゴDRCの首都、キンシャサでも卒業生に会った。まさか、と思ったが、ここにもいるわけである。津田塾卒業生。パリ政治学院に留学した後、キンシャサのJICA事務所で働いている。すらっと背が高くて素敵な美人さんだ。一緒に食事に行き、先ほど替えたコンゴフランを支払いに出そうとすると彼女は言った。「え〜、コンゴフランなんか見たことないし。使うんですか、これ?嫌だ〜、くさい〜。触るのも汚い〜。ドルで通用しますよ、どこでも」。つまりは、キンシャサの国際協力業界で働いている限り、このコンゴ・フランは特に必要なく、ドルだけで事足りるらしいのだ。キンシャサの交通事情は、まさに混沌としており、道も訳が分からず、私はこんなところで運転なんかしたくないと思ったが、元津田塾生は、颯爽と、自分の運転する車で夜のキンシャサを帰って行った。

 相変わらず、たくましく、美しく、優秀な津田塾生なのであった。美しい卒業生にそう言われても、MMMは、現地通貨、必要なのです。Mbali に入った後、いかにコンゴフランが活躍するか、痛感することになるのだが、それはもっと後の話になる。
三砂 ちづる
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2017年10月22日更新
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