三魔女、テケ王国を行く。

軍資金調達の悲喜劇!?
 美穂さんもちづるさんも、DRC(コンゴ民主共和国)の貨幣経済の理不尽?を味わい、今や押しも押されもせぬProjet Mbali(プロジェ・バリ)隊員である。インターナショナルな経験はベテランの域に入るお二人でも、やっぱり語りたくなるコンゴ民の現金。

 2013年に22年ぶりに訪問した私なんか、お金が“綺麗になった”と感心したものだが、それでも換金屋で巨大な札束と格闘した。そう、たとえ昔に比べてマシでも、無視できない程度に使えないお札が紛れているのが彼の国の現実。少しでもレートのいい両替商を探す努力が、一瞬で吹っ飛んでしまうのだ。“格闘”を省略できるほど達観はできないし、同行の皆さんにも勧める(強いる!)次第である。
ザイール共和国時代のモブツ大統領肖像入り50,000ザイール札
発行の直後に暴落し(=$2)、今は通貨自体が変わってただの紙
 駆け出しの院生はみな金欠の若輩者、“札付き”な国の相手はこちらも“札付き”になって粘るに限る。その出だしが換金だった。フィールドへは5カ月分の生活費だけでなく、ボノボのトラッカーや50人からの人夫の雇用費など、コミュニティ丸抱えの現金を持ち込むので、必要十分な予算額をたたき出すためには、細かい金の計算をやらざるを得ない。

 インフレの勢いが良すぎて、キンシャサ値段で計算すると現地では超バブル。でも5カ月すれば、遅まきながら物価は上がる。政府の役人と同じ調子で、「お金なくなったから給料待ってて」なんて言い草は村人に通用しないし、彼らの信用を失ったらとばっちりはボノボに向かいかねない…。だからと言って、この状況で持ち金すべてはたくのも危なすぎる...。
山極館長ゆかりのカフジ・ビエガ国立公園の東ローランドゴリラのイラスト入りで、
今でもお札はお土産として人気が高い。JMCビジターセンターでも販売中!
 ちづる先生の美しい教え子、あの混沌たるキンシャサの街を自力で運転できる才媛にすら敬遠された、コンゴ民のお金は押しも押されぬ3K。クサい、キタナい、加えて危険、それも膨大な札束が、ただの紙切れと化す危険(汗)。実際、DRCの政情不安は貨幣経済の混乱と切り離しては語れない。あんな巨大な国が、独立後、通貨を二転三転させ、1990年代、独裁政治末期に疲弊しきった経済が破綻し、都市部で困窮した民衆が暴動に走った。

 今はMbabaの境地の私も、MMMがお世話になっているゲン隊長や紳士的武内氏も、ちょうどその過渡期のDRCで“育ち”、フィールドワークの極意を学んだのだ。そしてその極意たるや、“カネ”を巡る駆け引き、ザイール(モブツ大統領時代のDRC)の明け暮れは値段交渉で果てる…。

 私が初めてキンシャサに足を踏み入れた1988年秋、通貨は国名と同じ「ザイール(Z)」で、レートは確か$=約300Zだった。経済破綻の兆候とともに、公務員給料の遅配、インフレ率の上昇などが、庶民の生活を直撃していた。生まれて初めての海外旅行先が“札付き”のザイールとあって、「足手まといはいかん。謙虚に」と自分に言い聞かせつつ、調査隊の先輩、われらがゲン隊長の導きのもと、アフリカ行の第一歩を記した。
 ちょうどちづる先生がモガディシオに降り立った頃、私は隊長に連れられて、外貨が欲しい中華料理店や韓国人写真店を巡り、せっせとザイール貨を集めていたのである。銀行の換金レートには冗談のような数字が並び、機能不全に陥っている。1年で物の値段が倍になるインフレ100%の世界、失うものが大き過ぎるリスクは換金レートでヘッジするしかない。ソマリアと同じで、ザイールでもいったん換金してしまったら最後、2度とドルには戻らなかったのだ。

 いまだに1フランでも、レートのいい換金所をあさる我々世代の“癖”は、「お得」なんてかわいいものではなく、この頃の死活問題をくぐったサバイバルの申し子である。まずはCITI Bankでトラベラーズチェックを現金化したドルを手に、めぼしい“換金所”に向かいザイールを入手。1000Z札で「150万Z」(約$5000)は、ちづるさんが見せてくれた写真のような、25枚一冊を5冊まとめた束(美穂さん、昔は4束じゃなくて5束だったのよ~)が12できる。それをさらに銀行に持ち込んで、現地で流通する50Zとか100Zとかに“砕いて”もらって初めて、フィールドに出発できる…想像してみてください。日の入らない薄暗い銀行のロビーで、うら若き私たちが1日がかりで、24000枚の札を点検している姿を!
岡安 直比
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2017年11月2日更新
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