三魔女、テケ王国を行く。

コンゴ“民”式交渉術
 コンゴ民主共和国という国では、1960年のベルギーからの独立以来、何度か通貨が変わったが、同じように国名もコンゴ共和国(コンゴ・キンシャサ)→コンゴ民主共和国→ザイール共和国→コンゴ民主共和国とコロコロ変わっている。おまけにこの最中に、フランス領だったコンゴも独立して「コンゴ共和国(コンゴ・ブラザビル)」になり、一時、同じ名前を冠した別の国が軒を接するという“珍事”まで出現した。いまだに世界中で、両国名の区別がつかない人は多い(つく方がマニアックすぎる...!?)

 コンゴ“民”では、一人(一握り)の人間による独裁の誕生と崩壊がそのまま、一国の政治=国名と経済=通貨の歴史を体現しているわけだが、不安定感は半端ない。現カビラ大統領の父親が起こした1997年5月のクーデターの時なんか、加えて仏語から英語、リンガラ語からスワヒリ語に公用語まで変えようとして、さすがにこれは定着しなかった。

 それにしても、経済の混乱が諸悪の根源なのに、独立から50年経っても改善される兆しがなく、発展途上国が独自の通貨を維持する難しさを、如実に表している。お隣りのコンゴ“共”を初め、カメルーンやガボンなど旧フランス領の国々が、フランスフラン/ユーロ固定レートの、共通の通貨セーファー(CFA)を使っているから、よけいに目立つ。

 忘れもしない1991年秋、キンシャサの暴動で極みに至った政情不安のせいで、私は2年の留学のチャンスを失い研究難民と化した。対象をボノボからゴリラに、滞在先をコンゴ民から共に変えて、翌年3月にようやく、首都ブラザビルに降り立った。
ブラザビルのマルシェ・トータル。四半世紀経っても変わらぬ佇まい(2017年5月)
均等な玉ねぎの山と値札(約50円)白インゲンや剥きピーナツは、缶で計り売り

 そこでまず驚いたのは、屋台の品物に値札が付いている! しかも書いてある数字に、あとから付け足したゼロとか、山の大きさが3倍ぐらい違うトマトに同じ値札とか、いかがわしさがない!! ついキンシャサの癖で、おばちゃんに「これふた山買ったら700CFAだけど、500CFAにしてよ」なんて吹っ掛けるのだが、「おとといお出で」と言われるのが関の山...。「あんた、対岸から来たね? そんなえげつないことを言うと、お里が知れるから止めなさい」とたしなめられて終わる。
 国境を越えてもお金が変わらない経済圏は、乱高下する物価にガツガツしなくていいことを痛感した一幕だった。ヨーロッパ通貨と固定レートで縛られる点は賛否両論あるが、ある日を境にセーファーが「ただの紙」になり果てる“危険”はない。住んでみれば、外国人の私が値切る、と市場でヒンシュクを買ったのもよくわかった。
野趣に富んだケケレ(Diarium)の実。殻の中の甘い果肉は野生のエボボも大好き
奥にあるのは、マロンボと呼ばれるこれまたジューシーなツルの実

 ま、それはともかく、今はバリ・ババ、再びコンゴ民である。買い物は闘いだ。1988年当時、ゲン先輩こと未来の隊長から厳命?されたのは、「市場へ行ったら、まず、いくら(Boni)?と訊く。相手の言った値段の10分の1から始めろ。向こうは1割減、こっちが1割増し、ってやってって、半額以下に収められたらお前の“勝ち”や。ま、でもふつうは、最初の値段の3割ぐらいが相場やけどな」 か、勝ち負け?

 役人にはマタビシだし市場では勝負だし、ほんとに地獄の沙汰を決めるのに日がな一日かかる国だ。フィールドワークのサバイバルと自然保護の思想とチームワークの大切さをごちゃ混ぜに、実はザイールという”通貨”が現在の私の基礎を作り上げたのだなぁ、という気がする次第である。恐ろしや。

 そういえば、2013年の22年ぶりの渡航から毎年Mbaliに通っているが、去年までコンゴフランは落ち着いていて、$=930フラン前後だった。美穂さんと一緒に、あらゆるものを積んで乗った、カウンターパートMMTのボート代も、支払はドル建コンゴフラン建どちらでもいいという悠長な返事。“わらじパン”も払いはフラン、チャリの通関代も、役人に気持ちの余裕があって(?)拒否しても絡まれなかった。

 ところがあの直後から、事態は流動的になりはじめた。国際社会注目の2016年末の大統領選が、準備不足を理由に延期され、確かなメドはいまだに立たない。カビラ大統領が三選禁止の憲法で出馬できず、失職後も居座るためという噂もある。音に聞こえたパナマ文書に家族の名前が出て、欧米が締めつけを強化、為替相場は一気に$=1500フラン前後まで上がった。
四半世紀前の悪夢が再びだけは、やめてくれ~~!
岡安 直比
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2017年11月7日更新
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