三魔女、テケ王国を行く。

Mbaliを喰らう
 さて、今回のお題は「バリ・ババ・\(^o^)/」!?
で、何を\(^o^)/かといえば、もちろんこれは、フィールドで楽しく“共食”するためのおバンザイである。美穂さんも ちづるさんも書いているように、Mbaliのフィールドワークは朝4時半にはボノボめがけて行動が始まる。「腹が減っては戦が出来ぬ」を地で行く体力勝負、言い出しっぺの私には、「Mbaliに行く」ためのルート開拓だけじゃなく、「Mbaliで食べる」ことにも責任がある。

 かてて加えて、世界遺産になるはるか前の屋久島で、野生のニホンザルを追いかけはじめたころ、山極JMC博物館長を初め諸先輩方に、サバイバル術として「フィールドを喰うこと」を徹底的に叩き込まれたのが、思いのほか効いてるんです。
「今夜のおかずは魚にしましょうかね」と言って、とある日、某先輩はおもむろに鋸を取り上げ山に向かう。手ごろな竹やぶにたどり着くと、「自分の釣竿を探してください」

 その竹竿の決め手は、いかに先がきれいにしなるか。貧乏学生は浮きを買う余裕がないから、海に垂れた釣竿の微妙なしなりを観て、魚の引きを見極めなきゃならない。細すぎても、魚を上げる時に折れてしまう。それを風にそよぐ竹やぶを眺めて選ぶのである。晩のおばんざいがかかっているから、いやが上にも神経が研ぎ澄まされる。そのあとは仕掛けづくり。手を切りそうなテグスをぐるぐる縛って、重り付けたり針付けたり、不器用な私には自分を釣りそうな危険な?作業を経て、いよいよ磯を目指して出陣である。

 しかしこれがまた豊饒の海のおかげで、ガサツな私でも30分も粘れば、その日の煮つけに十分な数のイサキが手に入った。時にはサヨリや小ぶりのシマアジまで釣れて、ほとんど魚をさばいた経験のなかった私は、ギザギザになった刺身を前に悔し涙に暮れた…。

 とまあこういうのは、大学4回生で伊谷純一郎先生の薫陶を受けるようになってすぐ、まだ隊長も美穂さんもちづるさんも、私の生活シーンに登場するずっと前の話である。以来、「食べるための手間を惜しまない」が尾を引いたフィールドワークも早35年。DRC、コンゴ共和国、さらにガボンからカメルーンと、アフリカ中部を放浪してきた。
ペル村に立った行商の市。衣料品中心
 行く先々では当然、屋久島よりさらに自然に密着した暮らしだから、生活の基本がすべて人手。誰かの助けを借りないと、水も飲めなきゃ料理もできない。ちづるさんが、水道はないけど水洗トイレが使えるMMTのフィールドステーションを描写しているが、煮炊きのための薪も、食材さえも調達は人力頼り。生まれて初めての海外旅行がDRCだった私には、フィールドで喰うためのリンガラ語習得は至上命令だったのだ。

 そんな、6年の現地在住を含むアフリカ30年選手が巡り合ったMbaliは、レフィニと同じ景観に同じテケ族とあって、勝手知ったる古巣も同然。貪欲にコンゴの味、バテケの珍味を探求していたら、「何だ、あいつは?」と奇異の目で見られる昨今である。

 でも、喰うことがすべて人の手ずからというのは安心だ。先進国では「トレーサビリティ」と銘打ち生産者の顔が見えることが貴ばれているが、それを地で行く生活はまだ世界の至るところに残っている。最近、通っているブータンでも、峠越えの自動車道路脇に地元農家のキオスクが出来ていて、「完全バイオだよ」と同僚が買い出しに余念がない。

レイモンド先生にカラ村の人々から贈られたクワンガとプランテンバナナ
 Mbaliで嬉しいのは、クワンガと呼ばれるキャッサバ団子が白くてモチモチでたいそう美味なこと(バテケのクワンガの名声は、昔から両コンゴに響いている)。それにDRCではポンドゥ、コンゴ共ではサカサカと呼ばれる、キャッサバの葉っぱの炒め煮、ビテクテクやンガインガイなどの香りたかい葉野菜、果てはツルヤシの新芽をたき火で焼いた「森のアスパラガス」、枚挙にいとまがない「お\(^o^)/」
あ~、おなかすいた…
岡安 直比
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2018年2月20日更新
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