三魔女、テケ王国を行く。

Mbaliに行く
 初めてのMbali行は、往路の船旅こそDRC色豊かなドタバタだったが、あとはたった2日の滞在で、Nkala村、Mpelu村ともにボノボを堪能し、あわや“沈没”翌朝の興奮そのままに、ひたすら感激していた。久々の野生のボノボ、しかもついて歩ける程度に慣れている!! 
パラソルツリーの果物を食べるNkalaグループの子供
 ブラザビル・コンゴのゴリラ孤児院長時代に、ボノボのみなしごもさんざん面倒見たから、そのゴリラ・プロジェクトのすぐ隣、バテケ高原のボノボ保護をほっとくなんて女がすたる。結果、ワンバで世話になったゲン隊長、DRCに強い武内紳士とかK村先輩とかパパ松浦とか、片っ端から人類学者にも声をかけ、コンゴ側はレイモンド先生にも登場願って、Projet Mbaliの輪は広がった。この連載もその延長上にある。

 それと同時に、どうやったらMbaliにスムーズに行けるか?というのも、言い出しっぺの私の、一筋縄ではいかないミッションになった…。この4年あまりで、DRCが急激に変化しているのを肌で感じるが、同時に広がるのが都会と地方の格差。その影響はフィールドワーカーを直撃する。

 2013年6月のキンシャサの下町には、市街戦のなごりの弾痕が穿たれた壁が残っていたが、今やショッピングモールのピカピカのガラスがとって代わっている。でもMbali周辺では、相変わらずWWFランクル以外、通りかかる車はなく、“TONDA”バイクが出回りはじめて、ようやく住民の足が確保されはじめた。そんな陸の孤島へはるばる出かける“酔狂”が酔狂でなくなる見込みは薄く、トラブル防止のため、ちづるさんの時のように「乗り合いチャーター機」が昨今のトレンドだが、いかんせん高い。

 2013年の秋、初めて隊長をMbaliに案内した時も、冷や汗をかいた。WWFのプロジェクト・マネージャーが帰るのに便乗して、遠い遠いNiokiまで定期便で飛び、そこからキンシャサに帰れるぐらいの距離を、雨季の真っただ中のサファリである。アフリカ大陸広しといえども、悪路の凄まじさでDRCに勝る国はない!
 WWFの優秀なコンゴ人ドライバーのおかげで、10時間がかりだったが問題なくたどり着く。が、なんと帰る前日になってこの命綱の車がダウン、80キロ圏内に車無し...。In the Middle of Nowhereの、WWF MaleboキャンプのWiFiの心細さったらなかったが、とにかくチャーター機を送ってとキンシャサに頼み続ける。2日間、埒が明かず、今夜のエアフラ便で帰国という段になって、やっと手配がつき放置されてた滑走路の草を刈って滑り込みセーフ。

 これに懲りて、翌2014年6月には、キンシャサでランクルを用立てて現地に向かった。ところがまた大回りのNioki経由で、全行程800キロ強を4日がかり! 都合3回、カサイ河を渡るのだが、うち2回、バッキ(渡しいかだ)を前に車中泊。どこのバッキも故障なく、一晩待ちで渡れたのはラッキーだったとか。
2013年6月にNiokiのバーで知り合った官吏。なんと翌年のサファリで、1.5時間かかるNiokiのバッキの船頭氏なことが判明!この時のツーショットが操縦室に飾ってあり、電話番号までもらってたのをすっかり忘れてた私は、ひたすら恐縮...
 でも、ほんとの災難は巨漢のレンタカーの運ちゃんで、キンシャサから出たことない箱入り。運転の未熟さが怖くて「隊長、交代して」と言いっ放しだったが、案の定、Niokiを出た途端にスリップして横の小川にドップン。わらわらと集まってきた村人の助けじゃ車を出せず、行きがけに見かけた、工事現場の大型クレーンに登場願ってやっと脱出した。翌日は翌日で、洗濯板状態にカチカチナミナミに固まった路面でスピード出し過ぎで跳ねて、何気なく落ちたところに尖った石。見事にタンクに穴をあけ、復路用だったディーゼルをあらかた使い切ってMbali入りという体たらく。とてもじゃないが、帰りもこの車に乗る勇気は出ず、結局、またチャーター機、文字通り笑うしかない結末だった。

 フィールドワークは、こういうリスクマネージメントに強くなる、っていうのと同義である。でもDRCの働き盛りはガラス張りのオフィスに憧れ、レンタカーは金を積んでもキンシャサ外へは出ないというのが、この4年でスタンダードになりつつあるらしい。いずこも同じ、Mbali Mbabaとしては「今時の若者は」と嘆くしかないのである。
岡安 直比
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2018年2月16日更新
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