「アフリカの水を飲んだものはアフリカに帰る」・・・といわれる。初めて出た海外は、1981年のケニアだった。大学時代の先生に連れられ、ナイロビ、キャラガナ、モンバサ、ラム。暑いと思っていたアフリカはセーターを着るほど寒く、おしゃれなんかあり得まい、と思ってジーパンしか持っていかなかった私は、美しくおしゃれな女性たちに圧倒された。
1984年、今度はザンビアの首都ルサカの薬剤助手学校で教師をした。私の最初の教員経験に耐えてくれたザンビア人学生たち、私の最初の“インターナショナル”な同僚になってくれた、スリランカ人、パキスタン人の皆様は、今も夢に現れる。1988年、国連職員となってソマリアに赴任しようとしたら内戦勃発、その後は、アフリカと縁がなかった。イギリスに5年住み、ブラジルに10年住み、アルメニアでもカンボジアでもマダガスカルでも仕事はしたけど、マダガスカルはブラックアフリカじゃなくて、インド洋の国だった。
30年間、アフリカとは縁がなかった。それでも忘れたことはなかった。それはまるで、昔残した、恋のごとくに。
アフリカ。30年後に会って、まるで、ずいぶん長いこと会っていなかったけど、君のことを忘れていないよ、と言われているようだった。僕が君のことをこんなに大切に思っていたことを、君は気がついていなかったんだね。君は本当に大切な人なんだよ。君がブラジルに行ってしまおうが、ラテンアメリカ由来の子どもを作ってしまおうが、ブータンに心惹かれていようが、日本でまた忙しくなろうが、関係ないさ。初めて会った時から、ずっと君は特別な人じゃないか。
ずっとアフリカに愛されているんだよ。アフリカによく帰ってきたね、同志。そんなつぶやきを耳元で囁かれているような、この大地での滞在。アフリカのコア、コンゴDRC、Mbaliでの日々。
おそらくこれから何度も会えても、あるいは何度も会えなくても、これが最後になってしまっても、My dear アフリカの大地。私の生は、いつも君と共にある。君の苦悩と君の豊かさと君の可能性と君の永続性と。終わりのある命と、終わりのない魂と。人間はどこから来たのか、と問い続ける姿と。
もちろんアフリカは十分に悪い奴なんで、こう言った囁きを私だけにしているはずもなく。数多の男と女に呟き続け、そして離れられなくする。君を私だけのものにしたい、君の見せる、ひと時の奇跡と、人類進化の秘密を、私だけが、垣間見たい。皆、その片思いのうちに、死ぬ。その永遠のサイクルのうちに、私もひっそりと身を委ねて、死にたい。それで何が悪いのか。そう思わせられる、Mbaliの日々だった。
お声かけくださった伊谷隊長に、最初から最後まで丁寧になんでも教えてくださって、この連載の機会もくださったハンサムウーマン、岡安直比さんに、過ごした時間は短いのに、連載を通じて深く関わることができた、かっこいい中村美穂さんに、共に食べ、共に暮らした研究チームの皆様に、そして誰よりMbali の人々とボノボに、また、読んでくださった読者の皆様に、心よりの感謝と敬意をおくりながら、筆をおきます。ありがとうございました。
(三砂 ちづる)