「骨屋」の骨コラム⑩ オトガイ神話
 この骨コラムもついに10回目となった。これからもマニアックさを追求しながらゆるゆると続けていきたい。

 先日、とある高等学校の生物の教員と話していて、オトガイの機能的意義について尋ねられた。以前はしばしば質問を受けたものだが、ここ5年くらいはとんとなかった。久しぶりに問われて逆に新鮮に感じたので、今回はオトガイについて書いてみたい。

 高校生物の教科書には、進化について学ぶ章があり、多かれ少なかれ人類進化にもページが割かれている。以前は、そのページにゴリラとヒトの骨格を比較する図が掲載され、解剖学的な相違点が羅列されているのが定番だった。なぜかヒトの近縁種のチンパンジーではなく、ゴリラとの比較なのである。ビジターセンターの常設展示にもあるくらいだから(写真1)、それが昭和から平成にかけてのスタンダードだったのである。そしてゴリラとヒトの相違点として、オトガイの有無が必ずといっていいほど挙げられていた。ヒトにはオトガイがあって、ゴリラにはない。


(写真1)日本モンキーセンターのビジターセンター内の一角にあるヒトとゴリラの骨格の比較図。さすがにオトガイについては触れられていない。

 オトガイ(頤)は下顎の先端の突起である(写真2)。英語ではチン(chin)、ボクシングでは打たれるとダウンを奪われかねない急所だ。たしかに、オトガイを殴られるとすべての平衡感覚を失うようなダメージを食らう。なぜそうなるかというと、顎関節は外耳道の直前にあり、顎関節から最も遠いオトガイを殴ることでテコの原理により効果的に内耳を揺さぶることができるわけなのだが、今回はそれを書きたいわけではない。

(写真2)オトガイ(矢印)

 オトガイは人類の系統におけるホモ・サピエンスの派生形質だ。ネアンデルタール人にも、原人にも、アウストラロピテクスにもオトガイはない(写真3)。当然、人類以外のすべての霊長類にも、ない。そもそも人類の中での話だから、ゴリラとヒトを並べてオトガイの有無を論じることには意味がない。意味がないのに、オトガイは珍重されてきたのである。


(写真3)化石人類の頭骨(レプリカ模型)。左:ホモ・ネアンデルターレンシス(ラ・フェラシー1)、右:ホモ・エルガステル(トゥルカナ・ボーイ:アフリカの原人)。

 近年、生物教員からオトガイについて尋ねられる機会が少なくなったのは、無意味さが教科書会社や執筆者に理解されたからだと思っている。もう十数年前のことになるが、前の学習指導要領が検討されているときに、日本人類学会の教育普及委員会がすべての生物教科書の人類進化に関する記述の改善点をリストにし、教科書会社と文部科学省に送付した。私も微力ながら協力させていただいた。その後、生物の教科書はだいぶおかしいところが減った。今回、質問を受けて手元にあった3社の教科書を調べたところ、1社の教科書にゴリラ・ヒト・オトガイのセットが残っていた。

 オトガイの機能的意義については、かねてから力学的な補強になっているのだというような議論が存在したが、私は疑わしいと思っていた。歯列が縮小し、咀嚼力も貧弱なホモ・サピエンスの顎に、手厚い補強が必要とは思えない。今回の質問を受けて改めて調べてみたら、HoltonらのJournal of Anatomy誌に掲載された2015年の論文に行き当たった。オトガイは機能的というよりは、個体発生上の偶然の産物じゃないかな、という議論であった。つまり、機能的な意義は乏しいらしい。いずれにしても、極めて頑丈な顎の骨と強力な咀嚼筋をもつゴリラに対して、ヒトはオトガイという補強があるもんね、と強がってみたところで、人類進化を語る上でまったく意味がないことは明白だ。それなのに、なぜオトガイは大事にされてきたのか。

 実はそこには、人間のダークサイドがにじみ出ている。ホモ・サピエンスのオトガイの発達度合いには、地域集団ごとに変異がある。コーカソイドと呼ばれるグループではオトガイがよく発達しているが、アフリカ大陸やアジアのホモ・サピエンスはオトガイの発達が弱い(写真4)。それ自体は地域集団間の変異に過ぎない。

 ところが、こんな些末な特徴でさえ、ダーウィンの進化論を曲解した人種差別主義者たちにより、白人の優位性を示す証拠のひとつとして利用されたのである。彼らにとってオトガイは知恵の象徴だった。そして、ゴリラというのは黒人のアナロジーだったのである。下顎の出っぱりと知能が相関するわけがない。なんともバカバカしい話なのだが、差別する側にとって口実は何でもよかったりする。2020年の日本で横行した「自粛警察」や、アメリカで盛り上がったBlack Lives Matter運動が浮き彫りにした差別の根深さを思うと、人間のもつ闇の深さに嘆息を禁じ得ない。差別を正当化するために、いかにひどいエセ科学がまかり通ってきたかについては、スティーヴン・J・グールドの『人間の測りまちがい』(河出書房新社)を参照されたい。


(写真4)ヨーロッパ系のホモ・サピエンス(左)とアジア系のホモ・サピエンス(右)の頭骨の比較(レプリカ模型)。いずれも男性。

 さて、上記のような背景をもつヒトとゴリラの骨格の比較図が、なぜ日本の高校生物の教科書に掲載され続けてきたのだろう。これは私の推測に過ぎないが、最初に高校生物の教科書を作るときに参照した戦勝国アメリカの教科書にそういう図が載っていたから、というだけのことだったのではなかろうか。比較対照としてはチンパンジーの方がいいかもしれないが、ゴリラでもダメではないし、オトガイ以外の相違点は有効である。そうして年月を経るうちにオトガイの意義だけが宙に浮いてしまった。

 冒頭の教師は、教科書に書かれていることは生徒にきちんと説明できなければいけないという、教師としての良心に基づいて質問しただけである。よもや私が、人類学の黒歴史に思いを馳せて言葉につまったとは思うまい。しかしながら、私にとっては科学と社会の関わりについて、改めて自戒の念を深くした年末の出来事であった。
(学術部 キュレーター  高野 智)


これまでの「骨屋」の骨コラム バックナンバーはこちら。
① コロブスには親指がない?
② 耳紀行:奥の細道(上)
③ 耳紀行:奥の細道(下)
④ 「のど仏」の話
⑤ ゴリラの頭に隠された秘密
⑥ 成長発達と骨の数
⑦ 蝶形骨:頭の中心で羽ばたく骨
⑧ 蝶形骨、進化を語る
⑨ 「気になるあいつ」の首の骨

2020年12月31日更新
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